久々の投稿 -贅沢品
皆さんこんにちは、KatMottです
久々の投稿になります。
忙しかった、いや、さぼっていた。
何はともあれ最近思ったことについて考えを述べていくわよ。
本日のお題は贅沢品です。
皆さんは贅沢品と効いて何を思い浮かべますか?
たっけ~肉、ブランド物の服、etc.....
しかし、私は思う。
現代日本における贅沢品はずばり、、、、
新聞です
は?と思う人もいるかもしれません、でも新聞だと思ったんです。
実は私も中堅新聞ユーザーであり、高校生の頃から朝日新聞を購読しております。
新聞のいいとこあげてくわよーーーー!!!
- 社会時事についてニュースなどの媒体に比べて詳細な記述がされている
- 新聞社ごと、著者ごとの意見の比較に適している
- 著者の考えが反映された記事に対して能動的に向き合うことに適する
特に私が新聞が贅沢品であると考えた理由は3です、何言ってるかわからないね。
近年、私を含めて若者にとって最も手軽なエンタメ、メディアは動画形式のコンテンツと言えるでしょう。
動画は手軽です、知りたい情報、見たいコンテンツのみを選択的に聞き流すことができます。また、その動画も近年は内容をコンパクトにまとめたものが主流となってきており(TiktokやYoutubeショートはその最たる例でしょう)、情報を楽しむことについて作成者となるクリエイターの工夫や技巧に触れる時間、向き合い方は短く、受動的なものへと変化してきています。
この工夫の向き合い方にこそ、私は文字媒体の情報である新聞の贅沢性(こんな言葉はない)を感じるのです。
新聞は面倒です、知りたい情報が1面にない場合はページをめくり、探すという手間があります。新聞には質量があります、大きさもあります。指を上方にフリックするだけで情報の選別をすることのできる現在の動画コンテンツと比較するとその操作の煩雑さは一目瞭然と言えるでしょう。
でも私は新聞の購読をやめるつもりはありません。
逆張りじゃないよ、もう俺23だし、そんなんかっちょわりーじゃん?(笑)
私は動画コンテンツと新聞の決定的な違いは情報への向き合いかたであると考えます。
動画は何も考えなくても勝手にシークバーが動きます。
情報を楽しむ側がぼーっとしてるとクリエイターの工夫に築くことはありません。
クリエイターが何を考え、どのような意味を持って動画を作製したのかはわかりません。
一方、新聞は情報を楽しむ側が情報に対して能動的に向き合うことでしか情報を情報として落とし込むことができないため上記のような悲劇(?)は起きにくいと言えるでしょう。
反撃能力を敵基地攻撃能力と言い換えた理由は何だろう?とか、著者の考え方についてじっくり吟味できることが新聞の醍醐味だと言えるでしょう。
新聞って面倒くさいからね、、、でもこの面倒くささが贅沢なのよ。
近年の新聞の発行部数は毎年約200万部ずつ減少しているようです。
これは動画という能動的コンテンツ(蔑称ではないですよ、それが動画の利点であるので)の手軽さや、情報をゆっくり楽しむ余裕がない、現代人の生き方の変遷を反映しているものであるかもしれません。
しかし、年々と減少している新聞であってもその良さに対して向き合い方を変え、今一度手に取ってみてはいかがでしょうか?
梅雨とか、室内干ししかできない時期は洗濯物の下に敷いとくだけでめっちゃ除湿してくれるのでお勧めです。